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いつもブログをご覧頂きありがとうございます。このブログを書いていますミライです。
人に恨まれるようなことばかりしていた人が、病気になって悲惨な死に方をした…
人から恨みを買うようなことを沢山しているのに、何故あの人は幸せそうに暮らしているのか?
恨まれた人の末路はどうなるのか?と疑問に思う方の為に、恨まれた人の末路についてお話ししたいと思います。
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恨まれた人は不幸になる?
犯罪や暴力や不倫やいじめや金銭トラブルなどで人から酷く恨まれていた人が不幸な末路を辿った場合、因果応報と、ひとことで言い表すのは簡単ですが、本当に因果応報なのか?と疑問に思う方もいることでしょう。
人から恨みを買うような悪事をしている人でも幸せにそうに暮らしている人もいるのに、何故、恨まれてる人が不幸な末路を辿るのか?
その理由は、命の尊さがわからないことにあります。
人を傷つけ、人を騙し、危害を加え、人の命をぞんざいに扱う人は、植物の命の尊さや、自然の命の尊さも無下にすることになります。
自然を尊重し愛している人が道に迷った時に、鳥や風が行き先を教えてくれることがあるように、自然の命を大切にしない人には、自然の方も人の命を大切にしないのです。
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恨まれた人の末路は、空気を吸う、大地を歩く、野菜を食べる、日常に関わる全ての自然の気が見方をしない生活の末路になるということです。
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人が望む幸せ
一方、人から恨みを買うようなことを沢山しているのに、幸せそうに暮らしている人がいるのは何故か?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、その「幸せそう」というのは、第三者の物差しで見た幸せであって、本人の幸せではありません。
人から恨まれるようなことばかりしている人は、人から恨まれるようなことを平気でしている意識内の低い幸福度であり、人や自然を大切にする人が両手いっぱいに広げて手に入れられる幸福とは別のものなのです。
人の幸せは本人にしかわからない
人の幸せは本人が感じるものであり、他人が図ることが出来ないのと同じように、人の不幸も他人が図ることは出来ません。
恨まれた人が神様から見放され、不幸な末路を辿ったとしても、これもまた1つの意見に過ぎず、本人が感じている不幸とは異なるものです。
人の幸せや不幸は、その人にしかわからないものであり、他人が判断するものではありません。
不幸そうに見えても、毎日本当に心が明るく幸せに生きている人もいれば、幸せそうに見えて心が重く悩み苦しんでいる人もいます。
人の心はわからないものであるからこそ、人を思いやり、気遣って生きて行きましょう。
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