いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。このブログを書いていますミライです。
今から10年くらい前から気になり始めたことがあります。
それは、時代の流れによって気のわからない人や思いやりや人情がない人が増えているということです。
今日は、気とデジタルネイティブの関係についてお話ししたいと思います。
インターネットの無い時代
今の30代以上の人は、インターネットの無い時代を過ごして来ました。
インターネットどころか携帯電話もない時代には、友達と電話で話したい時は家の固定電話に電話をかけていました。
後にポケベルが普及するようになりますが、友達や好きな人の家に電話をしても電話を取る人が本人とは限らず、友達や好きな人の親や兄弟が電話を取って話すことが普通にありました。
メールも無い時代なので友達が家にいなかった時は、電話に出た親や兄弟に「帰ってきたら電話してくれるように伝えてくれますか?」とか「じゃあ、またかけます」などと言って、子供ながらに臨機応変に対応して来ました。
思春期になると男性は女性の家に電話をする時に(お父さんが出たら嫌だな…)とドキドキしながら電話をかけた人も多いことでしょう。
好きな人が家にいるかどうかもわからない、誰が電話に出るかもわからない、そんな中、タイミングによっては2回も3回も電話をかけても好きな人が家にいないこともあったのです。
インターネットが普及する前の携帯電話がない子供の時代から、目に見えない空気感やドキドキ感を日常的に普通に体験しながら生活して来ました。
他人が何を考えているのか?
インターネットが無い時代は他人が何を考えているかなんてさっぱりわかりませんでした。
今のようにブログやSNSも無いので、自分と知り合う人以外が普段どんなことを考えて、どんな感性を持ち、どんなことに共感するかなんて想像しようとも思えない程、他人とは未知なる世界そのものだったのです。
そもそも、「共感」という言葉自体インターネットが普及してから頻繁に使われるようになった言葉で、自分と同じ気持ちを持つ多くの人と、それこそ世界中の人と気持ちが繋がることができるなどとは、誰も想像すらしていませんでした。
私は幼い頃、友達や他人が普段何を考えているのか?1人1人性格が違うのはわかるけど、私が心の中だけで感じたり思っていることと同じようなことを他人は思ったりするのだろうか?、この感性や感覚は自分だけのものなのか?他人の脳内がどんな世界を視ているのかが不思議でなりませんでした。
友達どころか、この世界中には千差万別十人十色の心や感性があるのに、それがわからないのはなんて不思議で未知なる世界なのだろうと想像が膨らむばかりでした。
インターネットが普及するまでは、1つの映画にしても映画の感想は友達や周りの人と直接話したりテレビや雑誌を見ることでしか他人の感想や感性を知ることはできませんでした。
たった数十人の感覚や感性しか垣間見ることができず、映画の内容に疑問が残っても周りの人と話して「結局わからないよね」と結果が出たならそのまま気にしないで過ごしていた世界だったのです。
それが今じゃいくらでも人それぞれの感性や捉え方、感情、背景を思う存分に知ることが出来るようになり、知ったり分かることが当たり前に感じる人が増えました。
現代はインターネットの普及によって、千差万別の他人の感情や心の中が無限に知ることができるようになったのです。
デジタルネイティブの行く末
デジタルネイティブとは、学生時代からインターネットを利用して育った世代のことです。
インターネットの普及により、わからないことがない位便利な生活になりました。
物凄いスピードで細分化される中、膨大な情報の中から自分のアイデンティティとなるテリトリーを安易に見つけることができる昨今において、自分のテリトリー外の人間を排他し差別化し、限られた気の範疇で過ごす人が増えているのです。
時代の流れで仕方のないことですが、明らかに気が分からない人や思いやりや人情がない人が増え続けているのです。
気がわかる人と気がわからない人の違い
インターネットの無い時代は「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」として「わからないことは何でも人に聞くこと、わからないままでいることが恥ずかしいことである」とされていましたが、それがいつの間にか「人に聞くことが恥ずかしいこと」「わからないことは自分でネット調べろ」という風潮になっています。
ここで気がわかる人なら、「わからないから聞いているのだろう」「調べるのが苦手なのだな」「きっといつも困っているのだろう」と、気使うことが瞬時にできるので、その場で返答してあげられるのですが、気がわからないまま育った人は人の気持ちを汲むことができないので、会話することすら面倒臭いと思い、否定的な感情を抱くようになります。
どんな便利な世の中になっても、一番大事なのは、古い時代から受け継がれる「氣」を感じ扱うことなのです。
見えない礼儀と思いやり
時代がどんなに急速に進んでも、情報リテラシーやネット社会における優位さが幸せに直結しているのではありません。
インターネットが無い時代は、他人が何を考えているかわからないからこそ、「見えない礼儀」がありました。
社会や秩序を壊さぬようよう適度な距離感と敬意を持ち、人に接していました。
その見えない礼儀の根本にあるのが「インターネットが無い時代は、他人が何を考えているかわからないからこそ、「見えない礼儀」がありました。
」です。
ああかもしれない、こうかもしれない、でもわからない、
だから人に情けをかける余裕があったのです。
それが今ではTwitterやSNSなどインターネットの世界において、他人の家に土足で入り込んで、わざわざ自分の愚痴や文句を置いて散らかす人が多いです。
気がわかる人や思いやりのある人は、他人の家に土足で入り込むようなことはしません。
霊性高く、他人への気遣いと敬意を持って、ネット上でも現実でも、思いやりのある対人関係を築いて行きましょう。
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