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いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。このブログを書いていますミライです。
先日、コロナ禍で芽生えた能力「自然の気を感じ取る能力」の記事で、自然物を感じ取る能力が高まった話をしましたが、昔のことで1つ思い出したことがあるので少しお話ししたいと思います。
20年以上前だと思いますが何かの話をしている時に親が「(私は)小さい時しょちゅう変なことを言ってた」と言いました。
その「変なこと」とは、私には直ぐにピンとくるのですが、スピリチュアルなことであったり、普通の子供が話さないようなことです。
その時私は「え!何を言ってた!?」と興味津々で聞き返したのですが、とても呆れたような顔をしていたので、私はそれ以上聞くのをやめました。
この時1つ思い出したことがあるのですが私は幼い頃、初めて桜を知った時、何故大人も子供もみんな桜を見てそんなに喜んで綺麗だと言っているのだろう?と疑問でなりませんでした。
そして親に、
「なんで桜が綺麗だってみんな言うの?この草(雑草)と同じじゃん」と聞いたのですが、とてもビックリしたような顔をされたので、これは「何故生きるってあるの?」という質問と同じく、人に聞いてはいけないことなのだなと思い、これ以上聞くのをやめました。
私は誰も教えてくれないので幼心に(たぶんピンク色をしているからみんな綺麗だって言っているのかもしれない)と思いましたが、(でも何故、ピンク色だから綺麗だって言うのだろう?)と不思議でなりませんでした。
私にとっては、足元に生えている雑草も華やかに咲く桜も全く同じく美しく感じていたからです。
道端に生えている青々とした草も、春に咲く桜も、全く同様に美しい自然だと感じていました。
私は大人になってもこの気持ちは変わらなくあるのですが、長年、車中泊旅行でひたすら氣の良い場所を探し、氣の良い場所で良い氣を得たり、高山植物の女王と呼ばれるコマクサや、ヒマラヤの青いケシと呼ばれる大池高原の青い花などの珍しい花、シラビソやコメツガなど高山にしか生えていない素晴らしく良い香りのする木や珍しい鳥など、大自然の中でないと見れない数々の自然に触れているうちに、子供の頃に感じていた思いを忘れてしまっていました。
旅行で遠い大自然の中まで行かなくても、今は身近な自然が私を楽しませてくれます。
コロナ禍で私は、この子供の頃の純粋な気持ちや、ほんの少しの自然にも大自然を感じる感度を取り戻しました。